2012年8月30日木曜日

ゲストハウスを拠点に

前回からの続きだが、先ずは住む処を、探さなくてはいけない。
右も左も分からない処からスタートだったが、ホーチミンのファングラオと云うバックパッカーが集まってくるストリートが在る。
この場所には、日本人が経営している「おしん」(今は経営していない)というレストランバーがあり、常に日本人が、食事をしていたり、コーヒーを飲みにきているので、私も常時利用することになり、ベトナムのアルバム造りは此処で行われることになる。

ベトナムのコーヒーだが、アイス珈琲は絶品である。一度試してみると良い。
日本に持ってきて、同じように作るがやはり、現地で飲んだ味が出ない。
水か?氷か?蒸し時間か?何が違うのだろう???

ともかく、ファングラオにゲストハウス1日3$で、長期契約3ヶ月レンタルすることになった。一応シャワー付き(温水ではないが)

その次は、タクシーばかりだとお金が掛かるので、レンタルバイクを借りていた。
慣れてきたら、現地で本田ドリームバイクを購入した。

滞在中はドリーム2台、オフロードバイク1台、スクーター1台を順次購入したが、スクーターが一番乗りやすかったです。ドリームは購入して一週間も経たないうちに盗まれてしまい散々だった。
ある時などは、目を覚まして一階を観ると、私のバイクにまたがりエンジンを掛けて
(ニコッ)と笑って逃げて行くところを、慌てて裸足で追いかけバイクを取り戻したが、夜中ではなく朝方侵入してくるとは。。。。。。。

ゲストハウスの路地を出たところに、「メモリーパブ」というレストランがあり、何時も私は酒を飲んだり、食事をしていた。
此処で出会った、店長が(グウェン タン タン)私のパートナーになり、ベトナムでの行動の手足となってくれた、当初は私のスタッフということで、月70$で動いてもらっていた、その代わり私は「日本でのビジネスは、ああだ、こうだ」を教えていたが、当時のベトナムはとにかく”いいかげん”が当たり前だった、加えて{ドイモイ}だったおかげで、外国企業は手こずっただろう。

・時間は守らず(フランス領下であった時期の風習)

約束は守らず(自分優先で都合の良いことだけを優先する)

嘘を平気で付く(自分の非を認めると殺される・ベトナム戦争中・のを避ける習慣)

言い訳をする(素直ではない、プライドは他国に負けないくらい持っている)

こんな国なので、日本で学んできたサービス業・接客業を駐在している人達や上層階級の人たち向けに提供できれば、当たると思い、教育から始めていった。

パートナーになったタンは、私に兄になってくれと言ってきたが、取り敢えず今は上司・部下という立場に留めておいた。
タンの血統は凄いものを、秘めていたのに気が付いたのは、彼の実家に行った時だった。










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