2012年9月4日火曜日

タンの実家 クチ地区

ゲストハウスに、お世話になって1ヶ月位たった頃には
近辺の、商店街、バイクタクシー、シクロの皆さんとも顔なじみなり、毎日を楽しく過ごしていた。

タンに「私の家に遊びに来てください」と誘われたので、ホーチミンから30分位バイクに乗って、クチと云う地区までタンの家にお邪魔することになった。

バイクで走行中周りの景色が、どんどん変わっていく、私が幼児期の頃の景色になっていくのである。「懐かしな」田舎と言えば田舎だが、気持ちが落ち着いてくる。ライスフィールドで米畑一面である。途中椰子の実のジュースを、3000ドン(日本円で25円位)飲んでハンモックで一眠りした。これも気持ちが良かった。

タンの家は、思ったよりしっかりした家で、豚を1頭、鶏は30羽ほど飼っていた、お母さんはライスペーパーを朝から何枚も作つては干しを繰り返している。

私が着くなり、近所から20人〜25人の人達がゴソゴソと集まってきた、何事かとタンに聞くと「全部親戚の人だとか、女性は台所でわさわさと料理作りを始め、男子は机と酒を用意して、アッと云う間にパーティー会場が出来て宴が始まった、外国人を見るのは始めてとのこと。

私もタンを介して、色々と質問していたが、男衆はとにかく酒を飲め。。俺が飲んだらお前も飲み干せと、延々と飲まされた。いつの間にか、意識を失って目が覚めたら、ハンモックの上で寝ていた。
最初は、地元で作ったワインだったが、途中から米酒(40°以上)を飲んでいたらしい。
頭は痛くないし、気持ち悪くもないが、フラフラすると言うより、雲の上を歩いている感じがした。

タンの一族は、お祖父さん98歳元気で、昔はベトコンの勇士でこの地区の長(オサ)だった。クチトンネルはベトナム戦争中、アメリカが手を妬いたところである。
父親は、博打好きで、家の事など考えず遊びほけていた為、タンの母親と離婚している。しかし女にモテルのであろう、妻が他に3人も居ると言う(;゚Д゚)!。。この人は霊感を備えて居るみたいで、異様な素振りをする時がある。私の日本人仲間(ドクトル)曰く、サイババみたいだと。

お祖母さんがまたすごい、目立たない存在であったが、息子がこの時期のベトナム社会主義国の首相(ファン・バン・カイ)であったのには驚かされた。
タンから見れば叔父さんである。そう言えば、タンの親戚は政府の職に就いている人が多いフランス大使館勤務、公安勤務、貿易省勤務等々。北に負けたサイゴンで、このような職に有るということは、タンも相当恵まれた環境なのであろうと思っていたが、そうでもないらしい。 サクセスツアーランド

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