2012年9月15日土曜日

展 開

牛を飼っての搾乳業は半年程続いただろうか、なかなか満足の行くような利益は得られない現実に、多少の焦りもあり、改善策を練っていた。

ベトナム自国民であれば、$50もあれば一箇月生活はできるが、私は外国人であるので全てに於いて、外国人料金なる金額を請求されるのと、日本人仲間で(殆どが留学を名目に事業進出の為市場調査に来ている若者)遊びや食事で$1000は使ってしまう。

相変わらず出張パーマ・カットをやっていた御陰で、金銭的には維持できていたが、日本より持参してきた開業資金を切り崩している。
何処に行くのにも、タンを連れていくのでそれなりの出費も嵩むが、行政機関や商取引時には彼が役に立ってくれる、タンも外国人と知り合わなければ、行けない施設やレストラン、ホテル等に出入りすることで、同胞の仲間より自分は格上になった気分で、年上やそれなりの地位にある人とも、尻込みせず、惜しげなく意見を言っていく。。これは後々彼の人生に大きく役立っていく。
この当時のベトナムは、身なりの汚ない人や、現地庶民は差別意識があった。

タンと貸家や貸店舗のオーナーに、家賃、詳細を聞いて回る際、
このように{数年後は外国企業がこれから進出してきたり、駐在員がアパートメントを借りに来るだろう}その仲介をしてはどうか。当時ベトナムは日本のような取引主任等の資格はなくても仲介を専業できた。私は、日本で不動産の経験もあるので、此処ベトナムでの仲介業を(紹介屋・口利き屋)タンとやる計画を立て、空いている物件のグレード、家賃、オーナーの所在、諸条件をリスト化して作った。

現地の色々な人達と知り合いになり、彼等の過去、現在、未来の話を聞けば聴くほど、このホーチミンの人達は北に負けたが、経済で成り立ってやると云う、夢、意気込みを感じた。
だから我々外国人が、タンソンニャット空港を降りて、一歩足を踏み入れて圧倒される、バイクの爆音と数の多さ、その活気だろう

悲しいかな、今ではヘルメット着用になるわ、車が多くなるわ、コンビニは出来るわと日本と変わらなくなってきた。

ベトナムはまだまだ伸びる。でもベタベタの社会、経済が面白い。出来すぎた都市は経済も人も魅力を失くなっていく。その理由は少しずつ解ってくるでしょう。

これから面白い国は、日本企業や個人事業家が進出して行く、カンボジア、ラオス、ミャンマーだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿