2012年9月7日金曜日

出逢い

タン・ファミーリーと家族同様に、付き合うようになっていつの頃か、、お祖父さんに「日本の人、是非タンの事を面倒を観てくれ、たのむ」と言われて「わかりました」

その後、数年に渡り、私が保証人になり、タンを日本へ招致、日本語学校留学とレールを引き、タンは数多くの日本人実業家、企業社長の皆さんに助けられ、成長していく。このサクセスは時期をみて掲載したい。現在は、ベトナムホーチミンで青年実業家に入るだろう活躍している。

先ずは、当初目的であった、美容室開業だが、先に綴った様に、社会主義国、ドイモイ政策真っただ中、、タンに、政府機関に行って交渉してもらうも、許可は降りてこない。

遊んでいる訳にはいかないので、日本人駐在委員家庭に、出張パーマ、カットをやりながら、少しの手持ちのお金で、タン実家(父方家屋)に牛小屋を建てて、牛を飼うことにした。当時のベトナムは、電気インフラが出来ていないので、冷蔵庫などは使えないため、フレッシュなミルクが飲めない。搾乳して朝一番で売ることを考えたのである。
殺生は好まないので、牛肉の販売はやりたくなかったからである。


  • だが、、、、これから展開していくビジネスは旨く行くぞ!と思いきや、結局失敗に終わるが、楽しませてもらって、私の人生に大きな影響を与えてくれた。感謝している。

日本でこれだけ、ビジネストライをして、失敗してを繰り返すことはできないだろう。規模も小さいが、扱う金額も少額でトライできる。なにより、ベトナム人の色々な人に会える、日本人の色々な人に会える。外国人気質が分かってくる、日本人気質や日本国政府の腹の中が分かってくる。

だが、搾乳の牛は雌だが、$300〜$1000する、タンの父親に多少ボラレタ感はあるが、10頭程買え揃えた、餌はお祖父さんが所有している、広大な土地を利用させてもらい、雪花菜も定期的に与え、より多くの乳が出るようにしてもらったが、なのに、売上ははほとんど上がってこない。

言い訳である、病気になってクスリ代がかかっている。子牛が雄しか生まれない。餌のグラス(草)を刈る職人に給料がかかる。である。
途中判明したが、売上はお父さんの闘鶏博打に注ぎ込まれていたらしい。

そんな父親を持つタンは、5人姉弟の長男、母親一人手で育て上げられた。
父親のようにはなりたくない。なっては駄目と常に母親に聞かされ、心に誓っていたそうだ。

母親の働く後ろ姿を観て、彼は父親代わりや長男としての勤めを、一生懸命やっていた。
クチからサイゴンまで20kmを自転車で、80キロある米俵を毎日送り届けてから学校に行っていたとか。
幸いにも、土地はお祖父さんの御陰で広大な土地を所有して、貸してもいる。
妹や弟達には、とにかく勉強をしっかりやれ!金は俺が稼ぐと言い聞かせていた。
そのせいか、兄に敬意をはらいながら、接してくる。
祖父・父・母・兄に敬意をはらう、忘れていませんか皆さん
この兄妹の行く末、現在は追掲載することにしたい。


サクセスツアーランド


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